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続・多賀山日記「節分参り」

福をよぶ豆の隠れし雪えくぼずいぶん若い頃につくった節分の日の俳句だ。これを見ながら京都の吉田神社は大勢の参詣客で賑わってるんだろうなと思った。幼い頃毎年のように祖母さんに手を引かれてお参りに行ったものだ。敬虔な門信徒である祖母さんは、他の神社にはわざわざお参りしなかったものの、吉田神社だけは違った。僕にはその理屈がよくわからなかっ

続・多賀山日記「すべて宇宙のもの」

近頃見かけるものに「〜〜研究所」という名の飲食店がある。とりわけ、ラーメン店やカレー店が多いような気がする。確かに「〜〜研究所」というと、その味を極めるべく日夜研究に励んでいるという感があり、いかにもこだわりの強い店なのだと受け取る人も多いようだし、名乗る方もそういう受け取りを期待しているのかもしれない。だけどぼくの受け取りはちょ

続・多賀山日記「放棄された風景の中で」

風に揺れている。耕作放棄された農地が目の前にひろがっている。隅々まで冬枯れのすすきに覆われている。かつてここが米をつくり野菜をつくる場所であったことをうかがわせるものは、人の手によって引かれた用水路だけだ。冬枯れのすすきが風に揺れている。すすきはどんなに強い風に吹かれても、決して折れることはない。風になど立ち向かうふうもない。風を

続・多賀山日記「甘さの背景に」

畠久保染子さん。この時八十四歳。彼女がつくる安納芋はピカいちだと評判が高かった。久しぶりに顔を見に行くと、小さな納屋で収穫した芋の整理と選別に汗を流していた。その年はいつもより暖かくて、収穫した後も芽が伸びる。それを一つひとつ摘んでいくのだ。急がないと芋がダメになる。染子さんは、朝の三時から夜の八時まで飲まず食わずで作業するんだと

続・多賀山日記「遊びをせんとや」

いろんな場所で飲んできたなあ。「遊びをせんとや生れけむ、戯れせんとや生れけん、遊ぶ子供の声きけば、我が身さえこそ動がるれ」などと嘯くつもりはないけど、一杯の酒、ひとつの出会いが今のぼくをつくりあげてきたことはまちがいない。ある人の言葉だが、ひとりの人との出会いが一冊の本を生むのだ、と。とするとぼくの場合、出会いの場というのは確実に