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続・多賀山日記「ぼくのふるさと」

by 清水哲男

両親が六十年以上暮らした路地の奥の家にひとりでいる。ぼくも十七か十八までここにいた。この小さな家で悶々としながら、いつか外の世界に出るんだと、その日をうかがっていた。その頃の痕跡は何も残っていない。なんとなくさみしい。自ら望んで飛び出した場所なのに。自分勝手だなと自分を嘲る。

その頃好んで聴いていた曲をかける。そうして夢想する。ここに勉強机があったな。ここに茶箪笥だ。ここに卓袱台を置いて、家族三人こんな具合に座ってたな。父はいつも無口で、口を開くのはぼくを詰るときだけだ。母は父に黙って付き従う。が、本人のいないところで大きなため息をついていた。

それはそれなりにひとつの家族の形をなしていたに違いない。

最初にいなくなったのはぼくだ。それからの長い時間、二人はどんな暮らしをしていたのだろう。

それから長い時が過ぎ、父が他界した。独りぼっちになった母は、それでもここを離れようとしなかった。が、ようやく今年の夏鹿児島のぼくのもとに移ってくれた。その後この家は空き家になっていた。

空き家のまま放っておいても仕方がない。ぼくはこの家を仕舞うつもりで戻ってきた。

だけど……。思った。目に見える痕跡は何もない。だけど、ここには両親の思い出のすべてが充満していると思った。そのうちのいくらかはぼくのものでもあるし、ぼくの知らない両親と孫たちの思い出もあるはずだ。そして何よりも、ここはぼくが生まれ育ったふるさとなのだ。

ここでならぼくにしか書けない物語が書けるかもしれない。そう思ったのだ。

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