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あの日あそこにあったもの

by 清水哲男

「だめだ書けないな」

それが結論だった。

「だって、追憶するほどの関わりってないじゃないか」と。

ぼくは、生来はぐれ鳥だ。ほんとうは群れたいのだが、うまく馴染むことができない。自分の思いを先鋭にして他を傷つけることも好きじゃないし、傷つくことなどもっと嫌だ。だからあまり深い関わりを持たずに、はぐれたところから眺めているくらいがちょうどいいのだと自分に言い聞かせてきた。結局、家族、故郷からもはぐれてしまい、いま、鹿児島にぽつんと暮らしている。

だから、『追憶のほんやら洞』をテーマに何か書けと言われても、取り立てて書くようなことなどないのだ。ほんやら洞にはよく出入りしていたが、たとえば大学や出町の周辺にあった、「侘助(わびすけ)」だとか「MAKI(まき)」だとか、そんな喫茶店のひとつ。そこにいることはいたが、深い関わりはもたず、そこで時間をつぶしていたというくらいで、そう言えば一度路上写真展か何かの手伝いをしたかなあという程度だ。書こうとして書けなくてあたりまえ。早々にあきらめた。ただ、おかげであの頃のことを少々ふり返ることができた。

ぼくがはじめてほんやら洞に入ったのは、たぶん一九七五年のことだったと思う。その頃ぼくは、高校を卒業して半年ほど東京で暮らしたが、思い描いたような道を歩めず疲れ果て、逃げるようにして京都に舞い戻り、D大学に入った直後だった。なんとなくいくつもの意思が散乱したような店構えと、「ほんやら洞」というどこか柔らかい名前に引かれて入った。その頃、音楽は流れていたっけ……。それくらいの印象しかない。

はじめて入った日、窓際の席に座り何をするでもなく、通りを行く人や店に出入りする人を眺めて、コーヒー一杯で三時間ほど過ごした。通りを行くのは、大半が流行の服に身を包んだ学生たち。店に出入りするのは、ちょっと風変わりな人々、子ども、外国人、猫……。なんだか身体からすうっと力が抜けていった。ここは存在自体がはぐれだな、と。それからちょこちょこ通うようになった。

ぼくはD大学に入ったことを後悔していた。

東京から逃げ戻って、あらためて受験のための勉強などしなかった。ただ、まだ数年はアルバイトでもしながらのんびり生きていたかったし、社会に出て大きなシステムに押し込められて、パーツとしてあくせくするのも嫌だった。だったら大学にでも行こうかな。そんないい加減な気分だった。

D大学は文系学部でも、外国語、国語、数学で受験できたので、面倒くさい日本史とか世界史を覚えなおす必要もない。なんとか覚えている範囲で通れば儲けものというような気分だった。受験したのは文学部文化学科哲学及倫理学専攻。合格最低ラインが低かったことと、哲学なら好き勝手なことを言ってりゃいいだろうという思いが、選んだ理由だった。

幸い合格はしたものの、途端に入学金、授業料の金策に困った。親は行きたかったら勝手に行け、手助けはしないと言う。かと言って、合計で十五万ほどの金をどうすることもできない。仕方ないな、やめるか。そう思った時だ、母がその金を用立ててくれた。

「ただし、一年以内に返しなさい。来年からの授業料は自分で準備しなさい」

それが条件だった。

入学以来、ぼくはアルバイトに明け暮れていた。まるで、大学に金を払うために日々を過ごしているようだった。授業に出ても、居心地が悪いばかりで、ああ、こんなことなら大学なんて入るんじゃなかったと、何度も思った。その一方で、これを投げ出すとまともな人間になれないんじゃないかと、どこかで怯えもしていた。

「中途半端だな、俺……」

窓際の席でぼうっと通りを眺め、よくそんなことを思ったものだ。

五月の連休が明けると、大学は一部の学生たちによりバリケード封鎖された。封鎖している学生たちは、構内からのアジ演説やバリケードの前に立てかけた看板を通じて、封鎖がいかに正当であるかを様々に主張した。が、ほとんどの学生は興味を示さず、バリケードの内と外はまるで違う世界であるかのように振る舞った。中には連休の延長だと喜ぶ者もいた。

ぼくはと言えば、少々しらけ気分でその風景を眺めていた。大音量で流される中国語の「インターナショナル」を背後に聞き、ヘルメットをかぶり、タオルで顔を隠し、鉄パイプを持ち、門の上から外にいる誰かを威嚇するように見下ろす連中を見ると、なんとなく可笑しさすらこみ上げてきた。「こいつら、親の金で大学に通ってるとしたらお笑いだな」と。

朝バスを降りて、バリケードを見上げ、ため息をつき、ほんやら洞に向かい、窓際に腰を下ろしてコーヒーを飲みながらぼんやりする。そんな毎日をくり返していた。

バリケード封鎖がはじまって五日ほど立った頃だった。

窓際の席でぼうっとしていると、息急き切って駆け込んできた女がいた。女はそのままぼくの前に立ち、肩で息をしていた。同じ専攻の北原幸子だった。幸子とは二三度言葉を交わしたことはあったが、ほとんど名前を知っているだけという存在だった。だがその時、幸子は明らかにぼくをめざして駆け込んできた。

「清水さん、ごめんなさい、山田さんが……。どうしていいかわからなくて……」

「山田さん……」

ぼくは咄嗟にその人物の顔を思い浮かべようとした。

「ほら、学士入学の……」

頭の中に山田という男の顔が浮かんだ。

年齢は三十五を過ぎていた。一度は大学を卒業し、とあるゼネコンに勤めていたが、教職に就きたいと退職しぼくらの同級生となった。そう言えば住み込みで新聞配達をしながら学校に通っていると聞いたことがあった。その山田がどうしたというのだ。

「バリケードの前で、封鎖している人たちとやり合いをしてるの。何人か中から出てきて山田さんを取り囲んで……。鉄パイプで殴られないかって心配で」

山田はバリケードの前で、「学ぶ権利を奪うな!」と何度か叫び、たった独り座り込みをはじめたそうだ。胸と背中に「バリ封やめろ!」「学ぶ権利を奪うな!」と書いたゼッケンを貼り付けて。

幸子の勢いに負けたのだろうか、深い思いもなしに立ち上がった。すると隣で寝ていた髭面の男が起き上がって言った。

「いっしょに行こうか」

「俺も行くよ」

はなれた席でビールを飲んでいた男も、コップを置いて立った。

「いえ、大丈夫です」

なぜそう答えたのかわからない。大勢で行くとかえって事を荒立てると思ったのかも知れない。コーヒー代を払い、幸子を促して店を出た。

歩きながら幸子を疎ましく思った。余計なことを……、と。できれば関わりたくない。それが正直な気持ちだった。

山田はバリケードの正面に座り込んでいた。バリケードの向こうには、赤いヘルメットをかぶり、サングラスとタオルで顔を隠した連中が数人、首から上だけを出していた。まるで曝し首だ。公安から身を守るために顔を隠しているという話を聞いたことがあったが、ぼくには照れ隠しだとしか思えなかった。主張があるなら堂々と顔をさらしてやればいいのに……。所詮遊びの延長なのか。

「山田さん」

幸子が声をかけた。山田はバリケードから目をそらさず、短く、ああ、とだけ言った。

「清水さんが……」幸子が言いかけた時、山田が小さな声で言った。

「余計なことをするなって言ったじゃないか」

「ごめんなさい。でも、心配だったから……」

二人のやり取りをぼうっと眺めながら、ぼくはつぶやいていた。

「ぼくは別に心配もしてないけど……。どうせ奴らは何もできないよ」

ただなんとなくそう思った。どうせ格好をつけているだけだと。だから山田にも好きなようにやらせてやればいいじゃないか……。

何も言わずに二人に背を向けた。

夜。さすがに座り込みはやめただろうと思い、バリケードの前まで行ってみた。だが山田は昼間と同じ形でそこに座っていた。傍らに幸子の影もあった。

ぼくは山田の隣に腰を下ろして言った。

「もう、やめませんか。山田さんの気持ちはよくわかります。ぼくも同じ気分ですよ。こいつら親の臑かじって大学に通ってるバカどもですよ。こんな奴らに何言っても通じない。やるならこいつらにじゃなくて、こいつらに迷惑を被っている学生に言った方がいいんじゃないですか」

山田は何も言わなかった。ぼくは二人を残してその場を去った。

翌日、ほんやら洞の窓際で外を眺めていると、山田と幸子がやってきた。山田は鞄の中から一枚のコピー用箋を取り出してぼくの前に置いた。そこには、

〈バリケード封鎖反対! 学ぶ権利を奪うな!〉

と大きな文字で書かれていた。

「これをコピーしてバリケードの前で撒こうと思うんだ」

「ぼくに手伝えと?」

「いや、ここなんだけど……」山田が〈バリケード封鎖に反対する学生有志〉と書いた箇所を指差した。「有志の中に君も入ってくれないか? 昨夜、同じ気持ちだと言っていたよねえ。君が承知してくれたらぼくと彼女と君で三人になる。別に名前を出すわけじゃない。気持ちの問題なんだ。仲間がいるって」

「仲間ですか……」

あなたたちの仲間になった覚えはないし、仲間という言葉は嫌いなんだ。仲間を求めるのはもっと嫌いだ。そう言いかけてやめた。

ぼくはサインペンを取り出し、コピー用箋に絵を描いた。谷岡ヤスジを真似てバリケードの上で立ち叫ぶ鶏と、赤いヘルメットをかぶって鼻血を噴く間抜け面の男たちを。多分ぼくの中に、バリケード封鎖をする連中も、山田と幸子も、両方とも笑い蹴散らしてしまいたい気分があったのだろう。山田と幸子は、それをぼくの彼らへの承認と受け取ったのだろう。

「ありがとう。このビラを撒きながら抗議の座り込みを続けるよ」

二人はそう言い残して出て行った。

ふたたび夜。ぼくの描いた絵が、ヘルメットの連中たちを刺激したのじゃないかと心配になり様子を見にバリケードの前まで行ったが、何も変わったことはなかった。山田と幸子が寄り添うように座り込んでいるだけだった。

が、ぼくが帰ろうとしたその時だった。ヘルメットをかぶりタオルで顔を隠した男が、バリケードを乗り越えて出てきた。山田と幸子の後ろ姿に明らかに力が入った。

ヘルメットの男が二人に向かって歩きながら大きな声で言い、顔を覆っていたタオルをとった。真っ赤なヘルメットには黒い文字で〈D大全学斗〉と書かれていた。

「俺だあ。ほれ、同じ専攻の船田じゃけえ」聞き覚えのある広島弁だった。「驚かしてすまんのう。いろいろあってこんなことになっとるんじゃ。あんたらもようやりよるのお。おもしれぇビラ撒いとったろがあ」

たしかにそれは同じ専攻の船田英一だった。船田はいろいろを説明しはじめた。

彼が入った岩倉の学生寮がヘルメットの連中の拠点であること。ヘルメットも鉄パイプも先輩から順送りで受け継がれること。同じ専攻の最上級生が彼らのリーダーであること。入寮と同時にほぼ自動的にメンバーにされたことなどだ。

「こんなところに出てきて仲間に責められないのか?」

山田が言った。仲間という言葉が妙に滑稽に響いた。

「大丈夫じゃけえ。というか、俺の同級生たちだと言うたら、行ってこいと言われたんじゃ」

「座り込みをやめろと?」

「まあ、そんなとこじゃけえ」

「断る。君らはぼくの学ぶ権利を踏みにじっているんだぞ!」

「まあまあ、そう熱うならんで。もう二日もすりゃあバリ封も解くし。ゴールデンウィークの延長だと思ってくれりゃあありがたいんじゃ。こっちはあんたらを敵視する気はないし……」

「だったらいいじゃないか。ぼくらの座り込みで学生たちが動くとも思えない。みんな無関心だから。ぼくは君らよりも、無関心な学生たちに腹を立てていると言った方がいいかもしれない」

「わかった。そう伝える」

船田は、「じゃあ」と言いながらヘルメットをかぶりなおしタオルで顔を覆ってバリケードの向こうに戻った。

それから三日後、船田が言ったとおりバリケード封鎖は解かれ、何事もなかったかのように授業が再開された。山田も幸子も、そして船田も教室に戻っていった。ぼくは相変わらず中途半端な自分を持て余し、窓際の席で外を眺め続けていた。だが時折その席は山田と幸子に占められ、そのうち船田までが加わるようになり、そこはぼくの居場所ではなくなった。

夏休み入ると幸子と船田はそれぞれの故郷に帰っていった。京都にはぼくと山田が残された。ぼくは何をするあてもなく、暇になれば窓際の席をふたたび自分のものにしていた。山田も暇になると店に現れ、あたりまえのようにぼくの向かいに座った。

〈窮屈だな……〉

ぼくは学費のために貯めた貯金を握りしめて、旅に出ることにした。二十歳の夏。ぼくの最初の旅だった。それ以来ぼくはずっと旅の途上にあった。たまに京都に帰っても、学費と次の旅のためのアルバイトに明け暮れ、大学からもほんやら洞からも足が遠のいた。何かの拍子に窓際で楽しそうにしゃべる三人の姿が思い浮かんだが、もはやぼくの場所ではないなと思った。

以来卒業まで、あの三人とは、学内で見かけても軽く挨拶をする程度でほとんど言葉を交わすこともなかった。どうやらぼくは彼らの仲間として承認されなくなったようだ。

卒業して、山田と幸子が結婚したと風の便りに聞いた。

バリケードの前で寄り添うように並ぶふたつの影を思い出したが、それも遠い記憶の中に消えていった。

幸子と再会したのは卒業して二十年ほどたったある夜のことだった。

四十歳を過ぎたばかりのぼくは、もうすっかりほんやら洞に出入りすることはなくなっていた。D大学の近くに出かけることもほとんどなくなったし、それに開店当時からのマスターがほんやら洞から離れたからだ。どちらかと言えば、マスターが木屋町に開店したバー、八文字屋を時折のぞくくらいだった。

その夜、物書き仲間と散々酒を飲み、議論だか口喧嘩だかわからないような喧噪に少々疲れての帰り道。八文字屋に寄ってもう一杯飲もうかと思案して、結局は木屋町と先斗町をつなぐ薄暗くて小さな路地の真ん中、カウンター八席だけの小さなお好み焼きの店に入った。

その頃の八文字屋は、まだ今のようには荒んではいなかったが、足を踏み入れるにはそれなりの覚悟がいった。ぼくの印象で言えば、客の多くは芸術家や文化人、学者など社会に一家言を持つ人たち。ぼくのようなノンポリは少なく、なにがしかの議論に巻き込まれると「何もわかってないなおまえ」などという言葉を浴びせかけられ、疲れた夜などは、巻き込まれなくても議論に耳を傾けるだけでうんざりしたものだった。

そのお好み焼き屋、メニューはお好み焼きとネギ焼きだけ。ただしお好み焼きにもネギ焼きにも牛スジ、豚、イカ、エビなどの具が目一杯入っていた。客はそのどちらかをつまみ、ビールなり焼酎なり酒を飲む。開店は午後六時。閉店は一応午前二時となっていたが、客が帰るまでだらだらやっていた。

「京都では〝返し〟ちゅうねん」

カウンターの端でネギ焼きをつつきながらウーロン茶を飲んでいた女が、吐き捨てるように言った。

お好み焼きを食べる時につかう、あのヘラのようなものを、京都では何と呼ぶのか女将に聞いた時だった。

「なんも知らんお兄ちゃんやなあ。ええ年こいて。ふん」

毒気を漂わせながら鼻で笑う横顔は疲れきっているようだったが、厚い化粧でそれを覆い隠していた。流行遅れのボディコンシャスな服は、からだのラインの衰えを露にしていた。年は、五十と聞かされても納得できそうだった。

お世辞にも美人とは言いがたいが、何とはなしに愛嬌があって、チャーミングというか、コケティッシュというか、男心をそそるような存在感を漂わせ、そのせいか言葉がきつい割には嫌な感じはしなかった。

女は、時間こそ決まってはいなかったが、毎晩のようにその店に顔を出し、決まってネギ焼きとウーロン茶とため息でわずかな時間を過ごしていた。

本名はわからないが、このあたりでは〝マリちゃん〟と呼ばれ知る人ぞ知るという存在だった。どこかの飲み屋で働いていて、源氏名が〝マリア〟だからだと聞いたことがあった。だが、このお好み焼きの店では、一切酒を口にしなかった。

「仕事中だからね」

それが理由だった。マリは仕事中にその店に何度か出入りしネギ焼きをつつくのだ。客たちはおもしろがって、勤めているという店の名前や場所を聞き出そうとしたが、マリは笑うだけで答えなかった。あまりしつこく聞くと、女将がピシャッと言ったものだ。

「余計な詮索はご法度やで!」

と。

マリはカウンターの端で、誰に言うともなくつぶやくようによく言っていた。

「お好み焼きて、好きなもんを何でものせて焼くさかいそう言うんやで。売る方が決めたらあかんねん。買う方が決めるねん。そやし、売る方はどんな注文にでも応えなあかんねん……」

そう言うときは決まって、これ以上悲しいことはないという表情だったが、涙を見せたことはなかった。

その面影にぼくはひかれた。昔、どこかで会ったような、そんな気がしたのだ。

ある夜のことだ。日付が変わる直前だった。いつもの路地から少し離れた公園で男を激しくなじるマリを見た。

「なめるんやないで! このど変態! 土下座して謝れ!」

男は崩れ落ちるように膝をつき、地面に頭をこすりつけた。

「誰が売女じゃあ!」

怒鳴りながら男の頭を踏みつけたマリは鬼のような形相をしていたが、頬からは幾筋もの涙が伝って男の頭に落ちていた。見てはいけないものを見た。足早にその場を離れた。

それから数日後の真夜中、お好み焼き屋のカウンターにマリはいた。他に客もなかったせいか、腰を下ろすとマリが声をかけてきた。

「お兄さん、この前の夜、見てたよねえ……」

「ああ、見るとはなしにね。でも、もう忘れてたよ」

嘘ではなかった。ほんとうに忘れていたのだが、マリにそう言われて、その光景がよみがえった。

マリはビールを飲んでいた。どうやら仕事は休みのようだった。

「近くに座ってええ?」

マリはそう言い終わらないうちに席を立った。女将は彼女が食べかけのネギ焼きを大きな返しで救い上げ、私から一つ空けた席の前に置きなおした。そうして、もう看板にするからゆっくりしてと、暖簾を仕舞い看板の灯を落とした。

「あんた、物書きなんやろ? ママに聞いたわ。物書きやったらいろんな人見てきたやろ。どう? みんな、何の問題もなく幸せに生きてるのん?」

マリが訥々と語りだした。いや、こちらから何か聞いた訳ではない。女将の視線がぼくをとらえた。黙って話を聞いてやってくれ。そう言っているようだった。マリはいつになく荒れていた。いや、沈んでいたと言った方がいいだろう。そんなこころの内を隠すように、いつもより厚く化粧をしていた。

「誰だって好き好んで、こんな仕事をしようとは思わへんやろ。うちにかて、止むに止まれん事情があるねん」

マリの仕事、それはデリヘル嬢だった。いつも持ち歩いている大きめのバッグには、ローションやらバイブやらバスタオルやら、そんなものが詰め込まれている。〈貴男の思いかなえます〉が店の売りで、買われた時間男の言いなりになるお好み焼きみたいなものだとマリは笑った。事務所から電話を受けて、男のもとへ出向く。その待ち時間をこの店でつぶしていたのだ。若い娘なら次から次に指名がかかるそうだ。

「うちみたいなおばさんになると、よっぽどの爺さんか物好きでないと呼んでくれへんし。指名なしで現場に行かされてチェンジなんちゅうこともあるし。時間が空くんやわ」

あの夜揉めていたのは、客の一人だったのだ。

「本番はなし。どれだけ金を積まれたって、絶対になし。けど、男はみんなうちのこと淫売だ、売女やて……、バカにしやがって」

プライドかとたずねると、あんたはアホかとマリは笑った。

「こんな仕事にプライドもくそもあらへんわ……」

そう吐き捨てた時のマリの横顔は、やけにさみしそうだった。

マリは黙り込んだままビールを飲み続け、そのうちカウンターに突っ伏し眠り込んでしまった。

みんな、何の問題もなく幸せに生きてるかって? そんなことはわからない。何がほんとうの幸せかすら、誰にもわかってはいない。マリの寝顔を見ながらそんなことを思った。

数日後、女将が教えてくれた。

マリの十六歳になる息子は、筋肉が縮んでいくというなんだか難しい病気にかかっているそうだ。なぜそんなことになるのか原因はわからないらしい。だから、もちろん治療法は見つかっていないという。もう十年も病院に入っているんだ、と。

「退院するのはねえ。死んだ時なんや」

マリが泣きながら女将に話したことがあったそうだ。

その子の父親は、その子がまだ入院する前に家を出たらしい。

「それで、うち一人やったら面倒見切れへんし、病院に入れたんや。母親失格やね……」

そう言ってまた泣いた、と。

マリが金のために働くのは、その息子を退院させて家で一緒に暮らすためだそうだ。

「最後の一年か二年でええのよ。一時も離れんと、ずっとそばにいて、世話してやりたいのよ。母親らしいこと何にもしてやれてへんから……」

医者からはよく生きて二十歳までだと言われていたそうだ。退院して一緒に暮らす、それは自宅で看取るということを意味していた。

「残された時間は短いんや。時間との競争やて、そやしマリちゃん必死で働いてるのよ。こんな仕事にはプライドもくそもないけど、稼いだ金で息子を育ててきたんやという自負はあるて笑てたわ」

それも幸せかもしれないな。そんなことを思った。

それから数カ月のことだ。

昼間その路地の前を通りかかり、ふっと中をのぞいた。すると、開いているはずのないお好み焼き屋に暖簾がかかっていた。

別に気になったという訳ではないが、暖簾の隙間からのぞいてみた。マリが車いすの男の子と並んで座っていた。十六だと聞いていたが、見た感じ小学生くらいにしか見えなかった。ぼくに気づいた女将が小さく手招きをした。入ろうかと思ったが、やめた。

分厚い化粧もない素顔のマリは、見たこともないような笑顔だった。

どうやら話していたとおり息子を退院させることができたようだ。

なんとなくぼくのこころのどこかがふうっと軽くなった。

マリの仕事も終わったということだ。

半年近くがたった。マリのことも忘れかけていた。

真夜中、あの公園を通りかかった時だ。聞き覚えのある罵声が響いた。

「なめるんやないで! このど変態! 土下座して謝れ! 誰が売女じゃあ!」

あの夜と同じ、大きなバッグを片手にマリが男をなじっていた。

マリがこのまちに戻ってきた。何があったのだろう。騒ぐこころを抱えて、久しぶりにお好み焼き屋に向かった。そこにいればマリに会えると思ったのだ。話を聞きたいとは思わなかった。ただ、会えると思ったのだ。

「マリちゃん、息子さん亡くなったんや……」

鉄板の前でのあの楽しそうな笑顔は半年も続かなかったのだ。だが、マリがデリヘル嬢を選んだのは、息子と二十四時間一緒に過ごすための金を稼ぐためだった。もうその必要はなくなったのではないのか。息子を亡くして自暴自棄になったのか。男をなじるマリの横顔を思い浮かべた。

「あんな商売、やめたらええのに……。自分が不幸になるだけとちゃうやろか。まあ、もう十分不幸やけどな」

女将が煙草の煙の向こうでつぶやいた。

マリは、不幸なのだろうか。

「みんな、何の問題もなく幸せに生きてる?」

マリの言葉が煙の中を通り過ぎた。女将は、ほんとうの幸せとは何か知っているのだろうか。そんなこと、誰にもわからないのじゃないか。そう言いかけた時、マリが入ってきた。

「お兄さん、お久しぶり。また、よろしゅうお願いします」

マリは明るく言った。その明るさがつくりもののように感じられて、居心地が悪かった。

「ママ、ネギ焼きと……、ビールお願い」

「飲んでええのんか?」

「ええねん。今日はもうお呼びかからへんやろし」

「そうか」と言って、女将はビールの栓を抜き、コップと一緒にマリの前に置いた。

「お兄さん、乾杯や」

マリは軽くグラスをかかげて一気に飲み干した。

「息子さんのこと、聞いたよ。気の毒だったなあ」

「あんた、あの日、入り口からのぞいてたんやてなあ。ママが後から言うてたわ。中に入って息子に会うてやってくれたらよかったのに……」

「いや、水入らずを邪魔しちゃあいけないと思って……」

ほんとうに楽しそうに見えたんだと言おうとしてやめた。そんなことを言っても慰めにもならない。

「お好み焼きを、おいしいおいしい言うて食べてたわ。こんなおいしいもん食べたことないて。今までの人生でいちばんおいしいて」

女将がうれしそうに言った。

「十六年間、ずっと病院食やったからね。正月くらい帰っておいでて言うても、迷惑かけるして、一回も帰ってきいひんかった。親がアホな分子どもはしっかりしよるわ」

「けど、人生でいちばんおいしかったのがうちのお好み焼きやなんて……」

女将が泣いた。

「ママ、何言うてんねんな。ここのお好み焼きは世界一や。息子の折り紙付きやがな」

マリが笑った。

あの日からちょうど四カ月目に彼は亡くなっていた。十七歳の誕生日を目前にしてのことだったという。

医者は、気管切開をして人工呼吸器を着けたら、まだまだ生きられると言ったそうだ。マリもそれを望んだ。どんな形でもいいから一日でも長く生きてほしい、一緒にいたいと思ったそうだ。だが息子はそれを望まなかった。

「母さん、ぼくはもう十分や。十分頑張って生きてきたんや。ぼくは人間として、自然の姿のまま生きて死にたいんや。それに、これ以上母さんに迷惑かけられへん。堪忍な、母さん」

息子はそう言って人工呼吸器を拒んだそうだ。

「生意気に、迷惑かけられへんやて。どこの世界に親に迷惑をかけへん子どもがいる? 子どもが何をしようと、どうなろうとそれを全部受け止めるのが親やろ? うちにはそんなこともできひんて、あの子は思てたんやろか。ほんまに、母親失格やわ」

「マリちゃん、自分をそんな責めるもんやあらへんで」女将が言った。「うちの目には、あんたらはええ親子に見えたわ。おたがいを思いやって。抱えた病気は不幸やったけど、あの子は幸せやったんと違うか。あんたもできるだけのことをしたと思うわ」

「……、息子をあんなからだに生んだ自分が恨めしい」

腹の底から絞り出すような声でそう言うマリの頬を、涙が伝って落ちた。

息子の不幸の責任はすべて自分にあると思っていたのだ。

マリは話していたとおり、息子のそばを片時も離れることなく過ごした。十六年間の時間を取り戻そうとするように、すべての時間を息子のために使った。微塵も身動きができなくなった息子のために、真夜中も一時間ごとにからだの向きを変えたり、異変がないか様子を見たり、ほとんど眠らずに介護していたそうだ。

「母さん、ぼくは大丈夫やし、ゆっくり寝てええよ」

病気で苦しんでいる息子に、逆に気をつかわれたと、マリは自嘲した。

「息子もほとんど寝てへんかった。多分、寝るのが怖かったんやと思う。そのまま目が覚めへんのとちゃうか、そのまま死んでしまうんとちゃうかて怖かったんや。目をつむるのが怖いて言うてたこともあったわ。そばにいても役に立たん親やろ……」

息子は日に日に衰えていった。マリは呼吸を少しでも助けるために、ベッドの上に乗り人工呼吸をするように息子の胸を押し続けたそうだ。

そして最期の時を迎えた。

お母さんありがとう。こんな身体に生まれてきてごめんね。

お母さん、ぼくがおらんようになっても、悲しまんといてな。

お母さんも自分の人生をちゃんと生きてな。

けど、たまにはぼくのこと思い出してな。

お母さんの息子に生まれて、ぼくは、ほんまによかった。

それは、息がかすれるような、声にならない声だったという。そうして最後に、

お母さん、ありがとう。お母さん……

そう言って息を引き取ったそうだ。

マリは話し終えるとビールを立て続けに二杯飲み干した。コップをカウンターに戻し、ぼくを真正面に見て言った。

「お兄さん、あんた、ほんやら洞って知ってるか?」

マリの顔を見て感じた懐かしさの理由がわかった。

「サッちゃん、か?」

「そんなふうに呼ばれてた頃もあった……」

おたがいに年を重ねたが、どこかに面影というやつは残るものなのだ。面影を記憶の中の残像に重ねる。間違いない。目の前のマリは北原幸子だった。

こんなときはどうするものなのだ。思い出話に花を咲かせるのか? 根掘り葉掘りおたがいの人生をあぶり出すのか? その後の幸子の人生に同情するのか? 難病の息子と幸子を捨てた山田のその後をたずねるのか……。

黙っていることがいちばんだと思った。何か言えば、もう二度とマリに会えないような気がしたのだ。

「けど、ママもお兄さんも、うちがまたデリヘル嬢に戻って、こいつほんまに淫売とちゃうかと思てるやろ!」

少々毒気のある顔に戻ったマリが吐き捨てるように言った。

「人はどない思おうとかまへん。息子といっしょにいるためにはじめたこの仕事や。この仕事してる時は、いつも息子がそばにおる。絶対に忘れへん」

マリの頬を伝って落ちた涙が、鉄板の上で音を立てて消えた。

それから一度男をなじるマリの声を聞いたが、お好み焼き屋のカウンターで顔をあわせることはなかった。女将の話ではあの夜以来マリは姿を見せなくなったという。どこかで息子の思い出を抱えながら懸命に生きているはずだとも。

もうしばらくすると、誰の記憶の中からも、マリアという女の存在は消えてしまうに違いないと思った。それはぼくも例外ではないと。

それからさらに二十年がたった。

その間にぼくは鹿児島に移り、京都との関係も希薄になった。年に数回戻ることはあったが、意識の中にほんやら洞、八文字屋が顔を出すことは少なくなった。

だが、二〇一五年一月十六日、ほんやら洞焼失を友人からの聞かされると、いてもたってもいられなくなった。何かを失ったような気分になったのだが、何を失ったのか、それがわからなかった。ほんやら洞といっしょに消えてなくなったもの。それが何かを自分の目で確かめたかった。

翌十七日。〈立ち入り禁止〉と書かれたテープを切って、焼け残ったほんやら洞の中に入った。闇の中にいろんなものが散乱していた。マスター愛用のカメラ。焼け残ったプリント。果てしなく豆を挽き続けてきたコーヒーミル。誰かの自転車。おびただしい書籍。棚の器。テーブルとイス。ぼくが見たかったのはこんなものなのか……。

ふと入り口のドアに目を向けた。光が強く差し込み、逆光の中に焼け残ったドアと窓の輪郭が浮かび上がった。窓際には懐かしいテーブルとイスがあり、若い日の幸子と山田が向き合う姿もあった。船田もいた。それがぼくのイメージであり、記憶の中のほんやら洞の残像であることは明白だった。

さみしさを感じるのだろうかと思っていたが、そんなことはなかった。逆に、ぼくは何も失ってはいないと思った。あの日そこにあったほんやら洞は、いまも、ここにたしかにある。あの時そこにいたぼくは、いまここにいるぼくの〈中〉にいる。

幸子も、山田も、どこかでほんやら洞の焼失を知ったかもしれない。そして思い出の片隅にぽっと小さな火がついたかもしれない。でもそれはすぐに消えてしまうはずだ。火がついている間、人は立ち止まりあの日あそこにあったものをふり返える。そして否応無しにふたたび時間を前に生きはじめる。

そんなふうにしてぼくらは、思い出を焚いて透明な軌道を走ってゆくのだ。

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