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もう今日かぎり逢えぬとも

by 清水哲男

もう今日かぎり逢えぬとも

      私の「月がとっても青いから」

「月がとっても青いから」という本を出したのはずいぶん前のことだ。

その時の話だ。

電話をした。面倒くさそうな声で父が出た。

「なんや、こんな時間に」

時計は午後十時を回っていた。

「いや、元気かなと思って」

「元気でなかったら電話とってへんわな」

「新しい本、読んでくれたか」

「どうせまた売れへんのやろが……」

相変わらずのやり取りだ。

私はいろんなことがあって早くから両親の下を離れて生きてきた。

一言で言えば、うまくやれないのだ。顔を合わせても五分と持たない。電話なら一分も持たずに口喧嘩になる。でもおたがいに年をとったということだろうか、弾まないなりに、よそよそしいなりになんとか会話のようなことができるようになった。ほんとうは打ち解けて酒の一杯でも酌み交わしたいのに、だ。

「月がとっても青いから」という物語は、私が私の生き来し方に何らかの意味を見いだそうとして書いたものだ。どこでどんなふうに暮らしても、私の故郷は昭和の頃のあの路地をおいては他にない。私の原点といってもいいだろう。そのことを自分にはっきりさせるために、あの長い物語を書いたのだ。

いや、わかっている。どれだけ望んでもあの頃に戻れる訳などない。

だけど私はむしろ自ら進んでその場所から離れて生きてきた。いまもそうだ。年老いた両親を残し、遠く離れた鹿児島でこうして生きている。

「ご両親が心配じゃないのか。親不孝だな」

多くの友にそんなふうに言われている。

自分でもそんなふうに思い、こころ折れ泣き叫びたくなるときもある。しかし、そんなとき五十年近く前の母の言葉を思い出す。

「思い出さえあったら、いつでも会える。会いたいと思うたら、いつでも会える」

するとこころがふっとあたたかくなり、少しだけ力がわいてくるのだ。あの頃のあの路地には戻れないけれど、あの頃のあの人々には会えないけれど、あの日々はこころの中にちゃんとある。だから、あの路地から遠く離れても、父母から遠く離れても、そして遥か彼方に時は過ぎても、決して怯まない私がいる。

「どうせまた売れへんのやろが……」

父はそう言うと、受話器を母に手渡した。

「元気にしてるか?」

いくつになっても母の声は優しい。

「元気やで。どう、本読んでくれたか?」

「うちはまだ読んでへんねん」

「なんで?」

「お父ちゃんが、何回も何回も読んで、なかなかうちのとこまで回ってきいひんの」

「えっ、またあらさがしか……」

父はいつも、私にとっては一番厳しい校閲者だった。「まともに日本語も書けんやつがあ」と手厳しいのだ。

「ちがうえ。お父ちゃん、喜んだはる。おばあちゃんやらおじいちゃんのこと、ちゃんと書いてくれてるて。よう覚えとおるなあて」

私は、母の言葉に狼狽えている自分に気づいた。何をしてもほめられたことなどなかったのに。いや、ほめられたことに狼狽えたのではない。ほめられていると知ってうれしくなっている自分に狼狽えたのだ。

いくら大勢の人にほめられても、たった一人、あの人にほめてもらえない、いや認めてもらえない悲しさ、悔しさ、そんなどうしようもない思いが私の中にあり、その思いを乗越えられない私がいた。

明治生まれの祖母はよく言っていた。

「いわんかてええこと、聞かんかてええこと、知らんかてええことがある方がよろしい。いうことなく伝える、聞くことなく知る。それを人情の機微というんや」と。そして「その機微がうまいことつかめへん間は、おたがいいがみ合うたり、ぶつかり合うたり、憎しみ合うたりします。けど、その機微がつかめるのは、大概の場合相手がいんようになってからや。人生っちゅうのはそんなもんや。つかみ損ねたという悔いが、相手をより身近にして、より懐かしゅうしてくれるんや。そんな悔いがない人生なんかウソや。そうやって人はええ具合に歳をとっていくんや」とも。

いま私はその言葉をかみしめている。

「月がとっても青いから」は最後にこううたう。

もう今日かぎり逢えぬとも

想い出は捨てずに

君と誓った並木みち

二人っきりで サ帰ろう

軽快で明るい曲調なのに、どこか寂しさと懐かしさが潜んでいる。

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