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続・多賀山日記「すべての銃を、一輪の花に」

by 清水哲男

クリント・イーストウッドのプロデュース、監督、主演の「グラン・トリノ」を観ながら晩飯を食った。十年くらい前に劇場で観た映画だった。

この映画は、イーストウッドが俳優業最後の仕事だとして封切時のインタビューで、この作品の後は監督業に専念して俳優業から引退すると明かした作品だと記憶していた。が、これは食事をしながら観るような作品ではなかった。

社会の底辺で生きる人々の先の見えない暮らしと、そこから生まれる屈折と不満のはけ口としての暴力の連鎖……。問題の解決に暴力を選択するという、分断されたアメリカの状況がよくわかる。主人公は最終的には自らの命を差し出して問題を解決する道を選ぶ。そこにイーストウッドのアメリカ社会に対する批判、主張が透けて見えてくる。

映画としてはいい作品だと思うし、好きな作品だ。が、晩飯を食いながら観るような映画ではない。物語に入り込んだ挙句感情のコントロールを失い、冷静でいられなくなる。イーストウッドの描く社会に煽られて、目には目を、歯に歯をと心で叫ぶ自分に気づく。当然食欲は失せていくのだ。

ふと思う。日本もいつかこんな社会になっていくのではないかと。いやもうなっているのではないかと。

誰かが言った。「安易に銃廃絶を主張出来るような国ではないんですよね、アメリカは」と。アメリカという社会だけではない。地球上がすべてそうなっていくような気がする。力を背景に、力を頼りにして、自分の主張を通そうとしている。でも、だからこそ銃なんかに頼ることをやめなければ暴力の連鎖は止められない。そのことは誰もがわかっていることだとも思う。でも難しいのだ。仕方がないと思うのだ。

主人公コワルスキーが銃をジッポーに持ちかえたように、すべての銃を一輪の花に持ちかえることなんて到底無理だと思っている自分に気づいた。結局はぼくも心のどこかで、暴力による問題の解決を求めているのかもしれない。そんな自分にゾッとした。

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