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続・多賀山日記「知の遺産」

by 清水哲男

仕事場の掃除をしていたら、懐かしい冊子が出てきた。

「大股で歩く 図書館と向き合った60年」伊藤松彦

伊藤さんと出会った頃、多分僕が四十五歳、彼が七十四歳だったと思う。

「俺は七十五になったら、とっとと東京へ帰るよ。一人暮らしは寂しいからな」

そんなことを言って笑っていたのを思い出す。

国立国会図書館で司書を務めていたが、定年と同時に請われて鹿児島に単身移り、大学で司書学を教えるようになった。僕とは、僕が鹿児島で絵本専門店を開業した直後に店を訪ねてくれて、絵本の話をするようになって付き合いがはじまった。四十代半ばと七十代半ばのおっさんが、喫茶店や蕎麦屋や飲み屋で絵本の話をうれしそうにしているんだ。

「サルビルサはおもしれえねあ〜」

「ぐりとぐらはいただけねえ」

そんな話を延々とするのだ。そばで聞いている人には奇妙な光景だったろうなあと思う。

絵本好きを集めて絵本講座や、読書会をやった。長谷川集平さんや、五味太郎さんを呼んで講演会をやった。そうして二人で一〇〇冊の絵本を選んで、本を出そうと計画したが、一〇〇冊に絞り込めずに、時間が過ぎ計画は頓挫した。

そうして七十八歳を迎えた彼は東京に戻っていった。

「さらばだな、また来るぜ」

と言い残して。二〇〇一年のことだ。

約束通り彼が鹿児島にやってきたのは、彼が八十歳を過ぎた頃だった。絵本展をやるのにゲストとして呼んだのだ。

「すっかり歳をとっちまって、ザマあねえや」

相変わらずの、懐かしい江戸弁だった。

僕らは三日間、昔のようにいろんなことを話し合ったり、彼の教え子たちを集めて飲んだり、楽しい時間を過ごした。

空港での別れ際

「また来るぜ」

と笑ってゲートに消えた。

だがその約束は果たされることはなかった。しばらくは手紙のやり取りもしたが、そのうち音信も途絶えた。どうしてるかなと思っていたある日、「大股で歩く」と題された冊子が届いた。懐かしい字で「君の文章も使わせてもらいました」と短い手紙が添えられていた。元気でこんなことに熱中していたんだなと安心したことを覚えている。

そうしてそれからしばらくしたある日の午後、訃報が届いた。

「僻地にこそ図書館を! 離島にこそ図書館を!」

この冊子を久しぶりに見て、そう言い続けて鹿児島の離島を飛び回っていた姿が思い浮かんだ。彼の遺志は大勢の後進に引き継がれ、鹿児島のあちこちで身を結んでいる。それなのに僕はと言えば、頓挫した「伊藤松彦と選ぶ一〇〇冊の絵本」を完成させようと悪戦苦闘を続けているが、時間だけが過ぎていく。

ところで僕の事務所は彼が鹿児島で暮らしていたマンションをそのまま借り受けたものだ。空間は引き継げても、知の遺産を引き継ぐことは難しい。

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