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続・多賀山日記「僕の言い訳」

by 清水哲男

「揺れて歩く」を読んだという人から質問が届いた。

「指物師のお父さんから引き継いだものは何ですか?」

これは形を変えてよくたずねられることだ。僕にとっていちばん厳しい言葉は、「古くから続いた家業が廃業して、惜しいと思ったことはありませんか?」というものだが、引き継いだものは何かという言葉の背後にも、後継の道を選ばなかった僕の選択を残念だとする指摘が見え隠れする。で、家業をつぶしても何か引き継いだものはあるだろうと。

引き継いだものは、確かにある。

職人としての思い、つまり、ものづくりは地味な作業の積み重ねだという思い、かな。特に伝統工芸品と呼ばれるものは、出来上がりが美しくてきらびやかなほど、つくられている現場、作業は地味だ。職人と呼ばれる人々はそのことをよく知っている。だから目立とうとしないし、自らの存在を主張しようとしない。思い、存在は、「もの」のなかに込められる。父の姿を見ていてそんなことを学んだような気がする。

僕は、職人がものづくりをするように、取材をし、写真を撮り、文章を書くという地味な作業を続ける。そうして自分自身を込めるように何年かに一度本を出して、自分自身を世に問うことを生業としているのだ。しかし、返事を書きながらまるで家業を継がなかった言い訳だなと思った。

結局すべてを消し、一言だけの返事を送った。

「引き継いだのは〈血〉です」

と。

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