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続・多賀山日記「元気の印」

by 清水哲男

市役所前に名山堀という居酒屋が軒を並べる路地がある。

ここは僕にとって母の胎内のような場所だ。何があってもここにくればほっと一息つける。

とりわけとくちゃんは鹿児島に移った時からの付き合いだから、もう二十三年になる。以前は毎晩のように通ったが、今は大病を患ったこともあってなかなか覗けない。それでも「久しぶり」とか「ご無沙汰だね」とか「よくきたね」などという言葉はない。「あら、お帰り」その一言だけだ。まるで母のもとに帰ってきたように、手料理を頬張り、酒を飲み、愚痴をこぼし、甘え、叱ってもらい……。ここはもうひとつの故郷かもしれないな。

鹿児島に移った直後、「千円もあれば、十分酔えるぞ」と人に聞いて勇んで出かけた。港大通公園から一歩路地に入ると、そこは別世界だった。なんとなく、大きな顔をして歩くのがはばかられる。入口にかけられた暖簾はどれも年季が入っていて、常連でないとくぐるのに少々勇気がいる。

とりあえず路地の入口にいちばん近い店に入った。美人の女将がカウンターの中でグラスを傾けていた。日本酒を注文すると一升瓶が一本出てきた。

「いくらでも飲んで。値段はいっしょ」

そう言って笑った。

「料理はぜんぶ素人料理」

そう言ってまた笑う。しかし、なにを食ってもうまい。お勘定は?

「二千円ください」

聞いていた千円とはちがったが、仕方ない。一升まるまる飲んでしまったのだから。

金曜日の夜になるとサラリーマンのグループでごった返していた。市役所の役人、新聞社の人間、近隣の会社に勤める者、云々。みんな思い切り飲み、食う。中には口角泡を飛ばし議論に熱を上げる者もいた。まちまちだが、みんな楽しんでいることにちがいはなかった。

いつのまにかグループの垣根がなくなり店が一つになる。一人や二人へそ曲がりがいて、話に水を差そうとするがすぐに挫折する。そのうちに自分がなにを怒鳴りわめいているのかわからなくなって、ただただ笑うだけだ。安い酒だが、ほんとうに酔える楽しい酒だった。

新型コロナウィルスの感染拡大で市内各所の酒場が営業自粛をする中、とくちゃんだけは普段通り店を開けていた。

「お客が来るこないじゃないの。元気で頑張ってるよ、みんなも元気でねっていう印なの。うちだけでも開けてたら、安心できるでしょ」

そう言って笑う女将の顔が思い浮かんだ。

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